乳幼児突然死症候群WIKI

絶対的完成度を目指す神WIKI乳幼児突然死症候群編

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保育園

乳幼児突然死症候群は両親以外の養育者といる時に起こりやすいことで知られる。

「径ちゃんの死をムダにしないために保育を考える会」が
朝日新聞と共同で実施した保育園児突然死全国調査によると、
1960年から1982年までに保育中に突然死した園児の症例は130例あり、
そのうち生後2ヵ月から5ヵ月の61例中59例までもが無認可保育所で起きていた。
しかも保母が言うには死亡園児はうつぶせ寝の状態で長時間放置されていたり頭まで布団がかぶせられたりしていた。1)

これに反してMoonはうつぶせ寝や不適切な寝具の使用などに差はみられないと報告しているが、
海外の保育状況は日本とは大きく異なるのかもしれない。2)

乳幼児突然死症候群を巡る裁判には乳幼児突然死症候群だったのに濡れ衣を着せられる場合と、
乳幼児突然死症候群ではないのに乳幼児突然死症候群だったと主張して責任逃れをする場合がある。

前者の場合、たとえ冤罪であったとしても起訴された保育所は廃業に追い込まれる。
いくら乳幼児突然死症候群だったと主張しても区の福祉事務所から子供を斡旋してもらえなくなるからである。3)

後者の場合、たとえ決定的な証拠や不明瞭な点があっても無罪放免になることがある。
例えばベビーホテルやホテルニューオータニ事件などがその好例である。

なお乳幼児突然死症候群が元で裁判にまで発展するケースは少ない。
日本SIDS家族の会医学アドバイザーであり埼玉県医師会医療事故紛争処理委員会審査委員でもある峯真人は、
「直接に関わった百を超える家族のうち、医療機関と紛争に至ったケースはわずか1~2例しかありません」と述べている。4)

ベビーホテル

1980年から急増した無認可保育所の最終形態。
劣悪な環境と杜撰な管理が相まって乳幼児の突然死が頻発した。

事態を重く見た厚生省は、1981年3月、全国一斉点検を指示。
その結果全国で確認された523箇所のうちの90%以上に衛生管理上の欠陥が見つかっため、
5月早々に児童福祉法が改正され問題のある場合は事業の停止や施設の閉鎖などの行政措置が取れるようになった。

一連のベビーホテル規制の発端となったのは「径ちゃんの死を無駄にしないために保育を考える会」の代表である東秀実である。
偶然テレビをつけた際、TBSがベビーホテルを好意的に紹介しているのを目にして抗議の電話を入れたのがきっかけとなり、
「径ちゃんの死を無駄にしないために保育を考える会」とTBSの協同によるベビーホテル反対キャンペーンが始まった。

その過程で目にした最もひどい場所は京都のベビーホテルだった。

そこはトタンを何枚か継ぎ足して打ちつけたような小屋で小さな窓が2つしかなく、
物が腐ったようなすえた匂いが外まで漂っていた。

五十代の男性経営者ひとりで切り盛りしており、朝まで預かる時は寝ている子を残して鍵をかけて帰るという。
この施設では1973年に前の晩から18時間放置された生後九ヶ月の男児が死亡しているが、
心不全と診断されただけで何のお咎めもなかった。5)

ホテルニューオータニ事件

1985年9月22日、株式会社ホテルニューオータニのベビールームで生後四ヶ月の女児が仮死状態に陥った。
女児は救急車で日本大学付属病院の集中治療室に運び込まれたが手の施しようがなく21時25分に死亡が告げられた。
女児の両親は結婚式を挙げたホテルニューオータニから結婚一周年を記念して食事に招待されていた。

1986年4月16日、両親は「うつぶせ寝にされたため窒息死した」と主張して損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
これに対してホテル側は「死因は乳幼児突然死症候群による病死で、過失はなかった」と反論した。

この件を巡っては不可解な点が多かった。
「保母から子供を受け取った時はすでに仮死状態だったのにすぐに救急車を呼ばなかった」、
「救急車に一緒に乗り込んで来た経営者がしきりに内藤先生に連絡するよう救急隊員に訴えていた」、
「病院の管轄である神田警察署からホテルの管轄である麹町警察署に移った途端に司法解剖から行政解剖に切り替わった」、
「死亡現場であるベビールームを頑なに見せようとしなかった」、
「証拠品であるベッドシーツが勝手にクリーニングされていた」、
「本件に関しては記者会見が執り行なわれず、新聞のベタ記事にも載らなかった」などである。

内藤先生というのは愛育病院の内藤壽七郎のことでSIDS研究の権威の一人であるが、
ホテルニューオータニはこの内藤壽七郎を顧問として迎え入れていた。

司法解剖は行政解剖よりも詳しく解剖され、解剖医は死亡現場の物品の提示を要求できる権限が与えられる。
一度司法解剖に決まったものを行政解剖に切り替えるということは真相を遠ざけることにしかならない。

死亡現場の見学については母親と祖母が何度も申し出たが警察が許可しないとして断られ、
ようやく要求が通ったと思ったら室内には入れてもらえずベランダからという条件付だった。
しかも部屋の電気はつけない状態で「これでは見えない」と抗議しても懐中電灯を渡されただけだった。

乳幼児突然死症候群と窒息死の区別はベッドシーツに付着したヨダレの有無で判断できる。
それをクリーニングしてしまうというのは証拠隠滅以外の何ものでもない。
もしも本当に死因が乳幼児突然死症候群であるならばホテル側はその証明としてベッドシーツを丁重に保管して置くはずである。

女児の死亡した夜、病院の待合室のすぐ脇の公衆電話で電話をかけていた警官が、
「ブンヤは止めたかっ!」と怒鳴っているのを母方の祖父が耳にしている。6)

果たして女児の死因がSIDSだったのか、それとも業務上過失致死だったのか定かではない。
しかしどうやらホテルニューオータニは病院や警察署と癒着しているらしく、
仮に今回の件が業務上過失致死だったとしても乳幼児突然死症候群ということにされてしまうだろうという印象を受ける。

genin/hoikuen.txt · 最終更新: 2015/10/20 19:53 by kamiwiki