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痛風結節

尿酸塩結晶が皮下または骨にたまってできたコブ。痛風発作とは異なり痛みはない。
体温の低い部位にできやすく、好発部位は耳介>足付根>肘>手指>足背の順である。

尿酸値11mg以上の痛風患者では約70%に痛風結節が見られ、
指の痛風結節は慢性結節性痛風患者の30.5%に発現している。1)
山梨県立中央病院内科では受診した痛風患者の約20%が痛風結節だという。2)

帽子をかぶる習慣があると機械的な刺激によって耳に発症しやすくなる。
その際、耳は下半分より上半分の方が体温が低いので上側にできやすい。

最初は米粒くらいだが放っておくと、大豆大、クルミ大、リンゴ大にまで大きくなる。
痛風結節が大きくなりすぎると神経を圧迫して筋萎縮を来たすことがあり、
上肢ではカルパールタンネル症候群、下肢ではタルザルタンネル症候群になる。

最悪の場合は痛風結節が自壊して関節が破壊されるが、
尿酸値を6.0mg/dl未満に維持すれば自然消滅するとされる。3)

尿酸値が下がらない重症患者では尿酸塩結晶を手術で物理的に取り除くことがある。
以下に記載するのは女性患者の手術動画である(詳細は不明)。

尿酸排泄促進剤が開発される前は患部を切断しなければならないこともあったという。
以下に記すのはタルボットが1949年に報告した最古の記録である。

患者は6歳の頃、左の腰に痛みを感じた。
当時は腰の関節の結核であると診断され、8ヵ月の間、左脚を動かすことができなかった。
後になって考えてみると、この関節での苦痛は痛風による可能性が高く、
感染によるものではなかったようである。
少なくとも、このときの前にも後にも結核を考えさせる証拠は、臨床上の印象の外には何もない。

12歳の頃いろいろな関節の炎症が起こったが、数日しか続かなかった。
その後の8年間の間、急性の発作の期間がだんだんと短くなったと述べている。

21歳になった頃には、毎年数回、急性の発作を経験するようになった。
急性の関節の発作がコルヒチンでおさまった後、
身体の検査では、何かを指示する結果は得られなかった。
発作の起こっていない期間には、関節の病気の徴候はなく、動きにも制約はなかった。
また、痛風結節もなく、レントゲン写真でも関節の異常は認められなかった。
しかし、この病気の慢性的な徴候を長くは免れることはできなかった。
18ヵ月以内に、痛風結節が手と耳に出現した。

23歳のとき、レントゲン検査で手と足に最初の変化が認められた。
関節の局部に関係しないと見られる結節がはっきりと認められた。
しばしば急性の関節炎が起こり、これに対するコルヒチンの効果は良好であったが、
この病気の進行は、臨床的にもレントゲン検査の上でも、
ほかの土の患者で観察されたよりも速やかであった。

25歳になると、数えきれないほどの痛風結節が明白に認められるようになった。
最初の結節が認められて5年経過した後、
手と足の骨はこの病気のためにひどく痛めつけられていて、
進行した痛風のための変化は明白であった。
いくつかの骨では、尿酸ソーダの沈着の拡大が容易に確認できるようになった。
大量の尿酸ソーダの集積が、多数の手足の関節に出現した。

30歳代の前半に、骨の間に沈着した尿酸ソーダの除去では、
足の衛生を維持することが困難となったので、足の指の切断が必要となった。
37歳で下肢が機能しなくなり、生命の活動が見られなくなったために切断された。
それから数年間、寝室から出ることができなくなった。
彼の関節のどれもが、急性の関節炎と尿酸の侵入を免れることはなかった。

痛風結節を最初に報告したのはGalen(131~200年)であり、
顕微鏡を発明したLeeuwenhoek(1679年)が痛風結節中に尿酸塩結晶を初めて観察した。
しかし当時はこの結晶の成分は石灰もしくはカルシウムから構成されていると信じられていた。

1) Holland NW,Jost D,Beutler A,et al:Finger pad tophi in gout. J Rheumatol 23:690-692,1996.
2) 加賀美年秀『痛風のすべて - 歴史から食事療法まで』P.27
3) Chang IC: Surgical versus pharmacologic treatment of intraspinal gout. Clin Orthop Relat Res(433):106-110,2005.
syoujou/kessetu.txt · 最終更新: 2015/10/22 01:17 by kamiwiki